140字でおさまんないこと

見たい人だけ見てくれ

ノンフィクションに限りなく近いフィクションな夢の話

小学校の給食のことを思い出していた。

私が唯一嫌いなメニューはコッペパンで、コッペパンが出る度に牛乳と一緒に食べてふやかしていた。そうするとコッペパンの無味感がずいぶんマシになるのだ。牛乳の大半がそれでなくなってしまうので、牛乳好きの私はたいそう悲しかった。シチューと一緒に出る時もあった。そんな時はシチューに付けて食べていた。シチューのいいお供だった。私はシチューが好きだった。

こんな夕焼けと共に帰路についたことを思い出す。今日は随分昔の話を思い出すものだ。私は学童に通っていた。

学童と言っても、学校にあるところは既に定員がいっぱいで個人が経営しているところに通っていた。同じ小学校に通っている子と共にそこに帰った。4車線ある大通りの信号のそばに咲いている金木犀をよく覚えている。私は地元の匂いが好きだ。春には春の香りがし、秋には秋の香りがした。

人間はどうして働くのだろうと考えた。あの頃に比べれば随分自由なはずだがとても不自由だ。もっと歳を重ねれば体の老いを感じ始めるのだろうと空想する。出来たはずのことが出来なくなるのは悲しい。

私は変わってしまったのだろうかと考える。1か月前の私と今の私は本当に同じ私だろうか。人格とはどこから来るのか。1日に細胞はウン十万単位で変わるという話を思い出す。一貫性と連続性がない感情をはたして同人物と呼べるのか。1週間前は一体なんだったのか。私にとって演劇とは何なのか。好きってなんだろう。執着とは何だろう。この胸に渦巻く得体の知れない感情を何となずければいいのか。人には言えない秘密が増える……。

そう、秘密が増えるのだ。秘密がひとつくらいあった方がミステリアスでいいわよ、なんて言う人もいるがそんなものは儚い今にも消えそうな女性が持っているからいいのであって、私みたいなチャランポランが持っていてもなんでもない。ただの不和の種だ。

押さえつけた感情こそ美しいと思う。それは例えば怒りであったり、喜びであったり、悲しみであったり。なんでもいいのだが、押さえつけられた感情は美しい。純粋無垢だったものを圧縮し出来上がったどろどろを私は見てみたいのだ。

ああ、支離滅裂だ。そろそろ終わりの時間のようだ。今私が生きている時間は、死ぬ間際に見ている走馬灯だと言った人物がいた。ナルホド、と私は思った。それなら幸いだ。私は確実にどこかの段階で死ぬのだという希望が満たす。何を?君は何を言っているんだ?この世が希望で充ちたらいいのに。

 


おやすみなさい……。