朝が来る
例えばの話になってしまって恐縮ですが、もし自己と自己の間にある境のようなものに落ちてしまったらどうしますか? あなたにはあまり想像もつかないかもしれませんが、考えてみてください。どうしますか? ……はい。……はい。そうですね。そうだと思います。自己と自己の間ですから、つまりそれは自身が自己の存在を理解できていない、認知できていない境界の話になります。それは自己だと云えると思いますか? 僕は言えないと思います。ですがそれは実際に存在しているのです。存在しているが存在を認知できていない自己、それは本当に自己と言えるのでしょうか。そういう話なのです、そういう次元の話をしているのです。あなたはどう思いますか? どう考えていますか? 考えていますか? ではそれを操っているのは誰なのでしょうか。自己ですか? 他者ですか? それともまた違うなにかですか? 自己を認識している自己をあなたは何と名付けますか? それはいつまで続きますか? あなたはいつもどこまで客観性を重視しますか。それはただしいことですか? あなたにとって客観性や主観性どちらに重きを置くことが正しいことですか。
「サハラさん」
はい
「起きてください」
え?
「おはようございます」
精神病棟という物に入ったことがありますか。
あそこは一面真っ白でなにもないんです。何故かわかりますか。真っ白なのは汚れがすぐにわかるからです。患者のほとんどは何らかの精神疾患や外的要因からいつも不安定な状態でいつどこでどういう発作が起こるのかわからないのです。ですから周りに物があると投げつけたりだとか飲み込んだりだとか壊したりだとかで何らかの被害があるでしょう。だからなんです。あそこはいいですよ。職員の人間は基本的にこちらの同意がなければ干渉してこない。理不尽という物がほとんどないんです。生きづらいと常々お考えのあなたにはおあつらえ向きな場所だ。しかし、だからと言っていくのはお勧めしないよ。君はあまりにも理性的すぎる。君にしばしば訪れる不安定な波を君は甘んじて受け入れているきらいがあるが、その中でも君は虚ろに目を開けてただそれをじっと見つめるだけでしょう。それにその波自体が君を次のステージへ押し上げる一つの要因となっている。君は荒波でもまれなければならない。君自身の進化が、君の周りの人間の進化につながる。脳を回転し続けなさい。目を開き続けなさい。すべてを見つめ続けなさい。それこそが君の糧となる。
さあ、朝だ。
「サハラさん」
「はい」
「ずいぶん遠くまで来ました」
「そうですね」
「ここはどこでしょう」
「もう何もないのだと思います」
「え?」
「なにもないんですよ」
「ほんとうに?」
「何か他のものが見えますか」
「……いいえ」
「朝が来ます」
「はい」
「朝が来たら、」
「はい」
「また歩きましょう」
「はい」