7月に入ったので
繋がり、というのは人間にとってかけがえのない要素であるのにも関わらず、昨今はSNSの普及により繋がりたい放題だがその一つ一つは希薄なように思う。
繋がりには二種類あって、一つは欲望。あれが欲しい、これが欲しい、あの子が欲しい、あの子の心が欲しい、そう自分のために。そういった自分本位な繋がりが欲望。対して、もう一つは愛。何かを愛おしむ気持ち、大切にしたいという気持ち、そういった相手にベクトルの向いた繋がりが愛なんじゃないかと私は思う。
前者はその物体や相手がそばにいなければ繋がることが出来ない。相手を手放したくないがために裏切ったりもする。偽りたい、奪いたい、報われたい……。それもこれもどこに起因するかと言うと、自分は傷つきたくないという自己愛からだ。人間とは傲慢なもので、自分が一番可愛いのだ。傷つきたくない、傷つかないようにするために偽るし、裏切るし、奪う。欲望は酷く脆い。とても脆い繋がりなのだ。
逆に、愛は傷つかないと手に入らない。たとえ自分がとても醜い存在で相手に嫌われるかもしれなくても、自分が傷ついてでも全てをさらけ出し、相手を思いやること、それが愛なんじゃないだろうか。だから愛は、そばにいなくても、もう会えなくても、報われなくても、伝わらなくても、その繋がりは存在し続けるのだと思う。
(一応言っておくと、これはさらざんまいの話です)
この話ちゃんと書こうと思ってさらざんまいの最終話だけちょっと見ようと思ったらいつの間にか全部見てた……。止められなかった……。
さらざんまいは本気で救済でしかないのよな……。さっき欲望のネガキャンを無茶苦茶したように思うけど、でも、欲望がなかったら誰とも繋がりがなく、はじまらずおわれない誰ともなんの接点もない絶望の世界で生きることになるんだ。だからさらざんまいは「欲望を手放すな」って何回も言っている。欲望を手放したら本当に絶望しかないから。欲望を繋ぎ続けるものだけが未来を繋ぐことが出来る……。
最終話は本気で泣けて、登場人物の男の子が過去に罪を犯してそれを精算したあと、肉親も兄弟もなくし街とも全部の繋がりをなくした中で「それがどうした!!」って叫ぶんだ……。「それがどうした!!」
😭😭😭
あまりにも力があって生命に溢れててもう、ほんと、生きろ!!みたいな……。普通に考えたら、両親も兄弟もなくしてなんのつながりもない状態なんて圧倒的絶望でしかないはずなのに、「それがどうした!!」と叫ぶ……。昨今の繋がりの弱さや自分は孤独なのかもしれないっていう不安に対してこの台詞はもはや脅迫ですらある……。みんなは言えるか?「それがどうした!!」って言えるか?言えるか?私は言えないよ……。それもこれも、彼にはそばにいなくても、報われなくても、もう会えなくても愛している人達がいるから出来たんじゃないかなと私は思っている。愛っていう繋がりは時空さえ超えて、彼らの間をずっと繋いでるんだと思う。その繋がりを信じているから彼らは生きていける。未来に進める。
そこで私はいつもとても悲しくなる。
現実問題、無理でしょ……と。
君にはいるか?傷ついてでも繋がりたい相手。自分よりもその人を大切にしたいって思う相手。
たぶん、これからどんどん世界は冷たくなって、人はどんどん孤独になるんじゃないだろうか。きっと将来には、私の傲慢も怠惰も嫉妬も全て、指摘してくれる人はいなくなって、みんなはもっと賢くなってそういう人間から離れていくんだ。人は孤独になるんだ。
誰とでも繋がれるっていうのは、逆に、繋がれない人間は誰と繋がっても繋がりを切られやすいってことなんだと思う。だって代わりがいるからね。
もっと賢くならなきゃダメだ、そう思う反面、賢くなるならないなんてことは関係ないんだってのも分かってるから悲しくなる。
まあそれだけの話だ……。繋がりがないと生きていけない人類は、これからどうすればその繋がりを得ることが出来るんだろう。人はそのうちすぐ死ぬようになるかもしれない。孤独は耐えきれない。仕事が辛くても生きるのが辛くても、孤独じゃなかったら生きられるのかもしれないが、孤独だったらもうダメだろうなってよく思う。
おわり