140字でおさまんないこと

見たい人だけ見てくれ

良心

良心ってどこから生まれるんでしょうね。

共感性とかでしょうか。

私は、3、4歳ぐらいの児童がスコップとかで犬猫をズッタズタにするとか大好きなんでよく考えます。そもそもですけど、私が、この『自我が伴わないが故に残虐行為をへとも思わない幼児の残虐性』が好きな事自体私に良心(または常識)があるから成立するわけじゃないですか。犬猫をズッタズタにする行為が道徳に反してると私が思ってるからこそ成立するわけじゃないですか。じゃあ私がこの常識を他に入れたのは一体いつなんでしょう?

それこそ最初に言った共感性が生まれれば「こんなふうにズタズタにされたら僕/私は悲しい」って気持ちも生まれてそういった行為に罪悪感を抱くんでしょうか……。うーんわからん。

常識っていう定義もくそ曖昧ですしね。誰でしたっけ、誰かが「常識とは成人するまでに手に入れた偏見だ」とか言ってますよね。それくらい個人によって偏りがあるのに関わらずみんなに共通した観念もある。不思議だー。

 


ちょっと違う話ですが、私は人間一人一人何かしらのバグを抱えてると思うんですよね。すっっっごいノーーーーーマルな完璧な人間っていうベースがいて、そこから派生している感じ。バグは、例えば黒目の大きさだったり胃の消化率だったり足の有無だったり、それこそ共感性が欠如していたり。人間、多かれ少なかれ大きかれ小さかれ何かしらのバグを抱えてると思うんです。それを個性と呼ぶ人もいると思います。個人的に個性って言葉は嫌いです。何が個性ですか。全部欠陥ですよ。バクですよ。個性なんていうていのいい言葉でオブラートに包まれてたまるもんかって思うんです。事実は事実です。

また話がそれちゃうんですけど、いわゆる障害を抱えてる人に無駄に優しくする人間が小さい頃から嫌いです。その人が出来なくないのに日常生活のあれこれを全てやっちゃうような人。それってつまり根底でその人に同情してると思うんですよね。同情ってつまりは下に見てるってことだと思うんです。お前だって欠陥品なくせに同じ人間を見下せるのかよって思うんです。どうしても対等という言葉が好きなんですね、私。だから慰めるっていう行為も苦手です。一瞬でも目の前の人を見下していないかとか考えてしまいます。でも自分がへこんでる時は普通に優しくして欲しいって思うんでその時その時の対処法というか、骨折したら松葉杖つく、みたいなそういう手当だと思うと慰めるっていうのも必要なんだろうなあとは思います。心のケアね。

 


閑話休題

 


なんの話しでしたっけ。

良心の話か。もう新島JOEも面倒な学校作りますよね。私は不真面目ちゃんなんで彼がどういうことを目的として良心教育なんて掲げたのか授業聞いてないんで知らないですけど。

なんか疲れちったのでおしまいです。

 


おやすみなさい~!いい夢を~