140字でおさまんないこと

見たい人だけ見てくれ

見たい人だけ見てくれ

とうとう作ってしまった……。

すでに死にたさがすごい。

 

 

こういうブログって顔が一致してない人間のものをみるからいいのであって、私のことに興味ある人間いるのか全くわからんしそういう点でとても今不安だ〜〜〜〜!イキってごめん〜〜〜〜!あと根本的に自分が大好きで自分のことしか書かないよ〜〜〜!ごめん〜〜〜!でもブログって本来そういうものだからな〜〜〜!

 

 

さて、さいしょに謝っちゃったので色々書きます!演劇のことが主だと思います!

 

 

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まず今日他劇さんの劇観てきました。

ここで大っぴらに感想を書くつもりは無いんですけど、観ながら自分に還元して考えてたことをちょっとずつ書いていきます。

まず、所属してる劇団と私自身のことを考えていました。

私の演技はよく人から大きい演技だと言われます。自分でもその自覚はあります。声がでかくなるにつれ演技もでかくなる傾向にあります。それが私自身とても嫌なんですよね。

話はちょっと変わりますが、1番使える役者とは一体なんでしょうか。多種多様に顔・体を使いこなせ何役も何役もできるクセのない役者でしょうか。それとも、数は限られていれども特殊な役をうまくこなせるクセのある役者でしょうか。

これは稽古期間やその演出家が誰かとか演出の方向性など、その時々の状況によって使える役者の定義も変わるので、議論する必要性が全くないので省きます。

が、沢山体の使い方ができた方がいいに決まってるのは確かだと私は思います。

そういう点で私は自分が劣等生だと思います。クソなんですよね〜〜〜。基本的に〜〜〜〜〜!中学から演劇やってるんですけど、そん時から1ミリも成長してない気しかしないんですよね〜〜〜!果てしなく、綺麗な動きが苦手すぎるんです。この劣等生〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!

 

で。

 

思ったのは自劇団に私はふさわしいのかということです。

私すっげえ自劇団のことが好きなんですけど、好きだからこそ不安になります。

自劇団のファンである自分に対し、自劇団で役者をしている自分は解釈違いではないか…。

自劇団には輝いている人物しか必要ないと言う自分の解釈違いになっていないか…。

以上です。特に結論は無いです。病んじゃうからね。

 

 

次に考えたことは、記憶についてです。

これは劇の内容に即してきますね〜。別に感想ではないです。

劇中で記憶は大切だ〜大切にしたい〜みたいな内容が話されていました。脚本家が優しい人なので、ぽいな〜〜〜と思いました。

しかし私はそうなのかな?って思いました。別に記憶って大切じゃなくないですか?というか、この世に大切なものなんてなくないですか?

 

これは私の持論なんですが、世界は無意味です。

 

この劇の演出の言葉で『人類五分前仮説』の話がありました。私この話大好きです。世界の無意味さをひしひしと感じさせてくれるいい話だと思います。

いつだって世界は突然なくなってもおかしくないです。それこそ、私が突然死んだら私が見ている世界が終わって、それは(私にとってのではありますが)世界の終わりです。

数年前によく考えた話があります。それは、この世から人類が全員いなくなった時、果たしてそれは世界が現存していると言えるのかという話です。人っ子一人いなくなって、そもそも地球という世界があったことを認識することが誰も出来ない世界は果たして存在しているのでしょうか。世界は誰かに記憶されることによって現存できています。物事は全て第三者に認識されることによって存在しているのです(この話は私大好きなので、また違う場面でも出すと思います)。

人類全ての記憶、また記録が私たちの世界を作っていると言っても過言ではありません。

例えば、土の中から発掘された一枚の紙に100万年前(本来紙がこんなに残ることは無いと思いますが)の生活の様子が書かれていたとします。それはきっと考古学とかそういう学問的に、100万年前の世界の実態だ新発見だ!となると思います。でもそれが、もし100万年前の人類が書いた妄想だとしたらどうでしょう。私たちにそれを判別する手段はありませんから偽物だともわからず、それが歴史上の真実になります。

以上が記憶(また記録や認知)が世界を世界たらしめてることの証明です。

しかも人の記憶というのは曖昧で、機械の記録だって曖昧で(人間が手を加えれば変わっちゃうっていう点で)、『人類五分前仮説』とかいうのが横行しちゃうくらいには世界はあやふやなんです。

あやふやなもの信じられます?

信じられなくないですか?

世界は無意味です。

詭弁ですね、はい。

 

 

最終的な結論とかないです、すみません…。

 

生きる意味を持っている人はいいですね〜。

誰かに求められることは生きる意味になり得るって皆さん知ってました?

例えば、嵐の松潤が死ぬとするじゃないですか。そしたら生き返って欲しいって願う人がいるじゃないですか。それって求められてるってことじゃないですか。つまり、松潤には生きる意味があるってことなんですよ。

いいなあ〜〜〜〜〜〜〜!!!!

生まれてこの方、家族にしか求められたことがない〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!

果たして本当に求められているのか?

それだって定かではないですけども。

 

 

 

うーん。子供の親に対する愛情は宗教とかいろいろ話すこと、考えてることはまだまだあるんですけど今回の劇の内容とはあんまり関係ないんで今回はここら辺で終わりにします。

 

深夜テンションで書いてるから、絶対明日の朝死にたくなるやつ。

 

みなさんおやすみなさい。いい夢を