140字でおさまんないこと

見たい人だけ見てくれ

笑いに関する考察

友人との会話。備忘録。

 


笑いとは一体なんのか。どうして生まれるのか。という考えには互いに直ぐに答えが出て、いわゆるギャップから笑いは生まれるという結論に達した。

例えばそれは一般常識との相違である。漫才が面白いのは基本的にここが大きいと私は思う。NONSTYLEが好きなので私はノンスタで例えるのだが、基本的に井上が石田にふる質問・ネタに関しては普通の内容が多い。「朝目が覚めたら鳥人間になったらどうしよう!空飛べるかも!」という井上。ここまでは普通の内容。それに対して石田は「やめとけってお前。次の日今まで筋肉痛になったことの無い部分が筋肉痛になるで」と返す。この回答は普通の感性だと思いつかない、いわゆるギャップである。想定された回答とはひと味違う回答をされることでそこに笑いが生まれるのだと私は思う。ノンスタはこのギャップの部分が限りなくリアルに近いからこそより沢山の人間の笑いを誘発できているのだと私は考えている。

NONSTYLEのことは今はどうでもいい。話を続けます。

しかし、この一般常識を基本とした笑いの取り方は堅実というか確実ではない。なぜなら、常識というのは人によって違うからである。すっごい当たり前のこと。では、どうすればいいか。脚本の設定を使うのである。

例えば。恋人関係にある男と女がいるとしよう。そして、男には若々しい母と少し老け気味の姉がいたとする。事前に女には男に母親と姉が存在することだけが伝わっているが、それがどういう見た目かは伝わっていない。さて、女が初めて男の家を訪ねる機会がやってきた。そんな時、初めに女が男の母に会ったとする。女には男に姉がいることが伝わっているので女は母親を男の姉であると勘違いしたまま会話が進んだとしよう。そしてそこに姉が登場する。女は勘違いをしているので、その老けた姉を男の母親だと勘違いしたまま会話が進んでいく。客の空気と役者の演技が上手ければ、うまく笑いが誘発されることであろう。

笑いの根源はここにあると私は思う。要は、客の中で脚本の設定という常識を新たに作りあげるのだ。そうすれば、漫才と同じ現象がここでも起こるのである。Aさんにとっての常識とBさんにとっての常識は違う。しかし一般常識的にその常識はありえない範疇のものでは無い。しかし、AさんもBさんもさもその常識が当たり前かのように話すが互いに違う話をしていることに気づかない、そういう常識の相違(私はギャップと呼ぶ)ものによって笑いが起こるのではないだろうか。

 

 

 

次に私が友人と話したことは、笑いを誘発させやすい人物についてだった。そしてそこから派生して役者についても言及することになる。

笑いを誘発させやすい人物は、男性ではないかという意見が互いに有力だった。例えば、サマータイムマシン・ブルースヨーロッパ企画のほぼ男だけで構成されているはちゃめちゃコメディだ。本当に面白い。きっと役者が女では成立しえない何かがあると思う。次に、JEWELRY HOTEL。私は同志社の冬プロで観劇した。これも本家は全員男である。

2人でその原因というか要因はなんだろうと考えた。まず思い当たるのは、エネルギー量である。次に、エネルギーの発散。そして、エネルギーを発散させるにあたりそこに躊躇いがあるかどうかだった。

 

話は少し変わるが、私たちは観劇し終わったあとにその劇で1番輝いていた人物は誰かというものを話し合う。その時に1番多いのはやはり男性で、そして女性でもそこに食い込むのは男性の性質を持っているというか、女性らしい女性ではなく少し男性よりの女性ということが多いという結論になった。(3劇団でいうとパのつくあの人や小劇場の〇谷さんやにさわのうんたらさんとか……実名出したくないね……)

 


(私は基本的に人間は皆平等だという意見の持ち主であるから、この結論すごいムズムズするなと思った。本当に、ただ事実を述べているだけなので仕方ないことではあるのだけど……。これ見てる女性で悔しい思いされた方いたらごめんなさい、私も女だから許して……閑話休題)

 

 

 

さて、ここでどうして私たちがそういう男性が有利だと感じるのかをもう少し詰めて考えてみた。

 


①そもそも私たちが女であるからそう感じるのではないか

②男性の方が体力がある→エネルギーが多いからではないか

③そもそも脚本的に男性主人公や男性が魅力的に見える脚本が多い

④学生演劇にそもそも男性が少ない

 


という意見が出た。もう少しあった気もするので思い出ししだい追加します。

①③④に関しては前提の話になるので深追いしないことにします。議論しても無駄なので。

では②である。

これに関しては演劇と違う範囲に関しての話も出た。例えば、世間には圧倒的に主婦が多いがプロのシェフに関しては男の方が多い印象を受けるといった話である。このように、世間はやっぱりある程度男尊女卑が残っているのだと思う。これは私が女だし、ここが日本だからこそ感じるのかもしれないが、多分意思があるとかないとか関係ない部分でそういう意識があるのではないかと私は感じた。友人は、女性は妊娠の期間などで職を離れる時間が出てくるからそこが関係あるんじゃないかと言っていた。むちゃくちゃ説得力あるなと思った。

さて話を本筋に戻す。

本当に、ただ私と彼女が女であるという前提がでかいのかもしれないが、皆さんは舞台上に男優と女優がたっていた場合どちらに愛着が湧くだろうか。私たちは圧倒的に男優だった。

女優には演技を見てすぐある程度の評価を下すのに対し、男優は下手くそだなと思ってもしばらく評価を先延ばしにすることが多い。キャスティングをする時に女優はこの人はこの役出来るというあんぱいに収まりがちだが、男優はこの役なら出来るんじゃないか?化けるんじゃないか?と期待を込めて配役をすることが多い。

あかん、説明面倒くさくなってきた。

要は男性の方が舞台上での物語性というか、そういう人物としての深さが増幅されるのではないかと思うのだ。女性に比べて男性の方が何をするか分からないというか、(何度も言うがこれは私たちが女からかもしれないが)突拍子もない思考で動いてもそれが肯定されるというか。女性の行動の裏にはいつでも思考が働いていて打算だけで動くことが無いという印象が正しいのか……。とにかくそういった印象がある。

もうここまで来ると男性の方が体力があるとかエネルギーを感じるだとか言う次元を超えて、男性だからという理由しかなくなってしまいとても論理的でない。

彼女との話自体はここで終わりだ。あとは私自身の話だとか演劇界隈の話をした。以上に関して思うところある男性いらっしゃれば感想を聞かせて貰えると嬉しいです。

最後は駆け足&適当になってしまい申し訳ない。以上でおしまいです。また加筆修正あれば知らぬうちにヌルりとしときます。

 


おやすみなさい、いい夢を